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1996年~2000年卒寮生

96年卒寮 関東出身男性 31歳で入寮後約1年在籍 
2011年秋・本人からの投稿記事

2011/11/18 山形新聞(卒寮生の投稿記事)



99年卒寮 北陸出身男性 18歳で入寮後約1年在籍
2011年夏・本人からのお手紙


 卒寮して10年以上が経ちますね。結婚して8年が過ぎました。子どもも2人…2人とも大きく成長しています。
 小学校のころから柔道に打ち込んでいました。柔道一直線の日々…柔道の推薦で高校入学し順調と思われた矢先、怪我で高校を中退する。
 アルバイトなどもするが、やはり人間関係で悩み…。地元の北陸から離れた場所で甘えずやり直したいと決心、単身電車を乗り継ぎ蔵王へ行きました。
 卒寮後は在寮中から通い始めた、上山市の柔道場の先生に紹介された精肉店で働きながら定時制の高校に入学し無事に卒業。毎日身体を動かしながら規則正しい生活をするうち、ずっと離れていた“柔道が好きな自分”を取り戻す事が出来ました。
 就職もさることながら、高校も卒業し自立に向かう事が出来た事に感謝します。



00年卒寮 関東出身女性 18歳で入寮後約2年在籍 
2011年夏・お母様からのお手紙


 里にお世話になってから何年が過ぎたのでしょう。そちらにお世話になるきっかけは東京の恵比寿にあるクリニックの先生の紹介でした。中学1年から学校に行けず、部屋に閉じこもる生活が続きました。体調を崩し知人に紹介されたクリニックでした。
 娘は子どものころから良い子で手のかからない、とても賢い子どもでした。妹が未熟児で生まれ、私が下の子ばかりに手をかけ、とても寂しい思いをさせた事。抱っこするのも下の子ばかり…長女を抱っこしてあげなかった事を深く深く反省し、悔やまれてなりません。
 長女が幼稚園に入園すると、とても出来のいい子だったので、私立小学に入学させようと躍起になっていました。バカな親です。友達と遊びたい時期なのに、毎日勉強させ、プール・ピアノなど習い事をさせました。苦労したと思います。
 幸い、娘はそちらで知り合った彼と結婚し立派な母親になりました。今は二人の娘を育てています。
 世間で言う「良い学校に行き、良い会社へ入り、良い家庭を作る」事が幸せな一生だと思い込んでいました。私は娘から楽しい学校生活を奪い、活気ある社会生活を奪ってしまいました。
 しかし里でお世話になり、自然あふれる中で生活し、大好きだったスキーをしてるうちに元気と生きる力を取り戻せた事に心から感謝しています。



97年卒寮 関東出身男性 24歳で入寮後約1年在籍 
2011年夏・本人からのお手紙


 2002年に結婚。2005年に長男、2009年に長女が誕生し、現在は4人家族で暮らしています。2010年に8年間在住しておりましたさいたま市のマンションを売却し実家に帰ってきました。
 いこいの里を卒業してから14年間、幾つかの職業を経験。現在は父親の会社に籍を移し新事業を模索検討しております。まだまだ半人前のバカ息子です。すぐに会社の代表に就くのではなく籍を置いたまま農業や花卉等の農業を中心にもう数年経験を積みたいと思います。
 「子どもは親の背中を見て育つ」と言います。自分勝手な親・仕事ばかりで家庭を顧みない親…。色々と問題と思われる親が多いと思います。私が偉そうな事を言える立場ではないのですが、経験上、仕事を投げ捨ててでもジックリ子どもと話したり遊んだりしてみてはいかがでしょうか。お子さんと同じ目線に立ち無邪気に触れ合う事も良い事だと思います。
 15年前に一緒に過ごした仲間たちは現在何をしているのでしょうかねぇ~。殆ど年下でしたけど…もう30歳くらいになっているよなぁ~~。



97年卒寮 関東出身女性 12歳で入寮後約1年半在籍
2011年夏・お母様からのお手紙


 3人姉妹の末っ子として誕生したAが「学校に行かない」と言いだしたのは小学校1年生、夏休み明けの9月頃からでした。何とか行かせたいと私は必死になり、あの手この手…と娘にツライ言葉を投げつけ、傷つけもしました。家に居場所を失った娘は「自立支援場所を探してほしい」と言い、いこいの里への入寮となりました。
 平成7年10月1日。自家用車に荷物をつめ込み親子3人で山形へ向かいました。「なんて言えばいい?」「埼玉からきましたAですと言えばいいよ。」緊張のあまり…娘の手は汗でぬれて…
 駐車場のナナカマドの実が真っ赤に色づいていました。娘をお願いし帰りの車中、私達夫婦は泣きながら埼玉へ。しもやけの手をよくおかみさんが手当てをしてくださり、大多数の方々に暖かく支援して頂きました。中学2年からは自宅へ戻り、中学校には戻らず、電車で1時間位のフリースクールに通い、北海道の高校を受験し卒業。
 「看護師になりたい」と看護学校への受験にも挑戦。何度も落ちる中、最後の1校の補欠合格で入学。正看学校へも働きながら3年間。助産師になる夢をあきらめることなく2年越しの挑戦でした。昨年4月より助産師として働き、北海道で知り合った彼と結婚しました。
 小学校1年生の時、学年主任の先生から「この子の将来はありませんよ」と。学校信仰の強かった私はいつも泣いていました。娘に映る母の涙はきっと辛かったものだったでしょう。今はうれし涙の出来事の連続に、これまで娘を多くの方々が支えてくださった事に感謝します。
 今は、好きな仕事に生きがいを感じています。「お母さんは外へ働きに!!」とアドバイスされ、これも娘のおかげと思っております。